すべきことの中にやりたいことがないので、締め切り直前まで粘っているすのえです。
現代社会は情報で溢れかえっています。我々が吸収しきれないほどの物量が飛び交っています。
現代人であれば、Youtube ShortsやTiktokで数時間溶かすような経験は必ずあるでしょう。
ただ、そのようにして得た情報なんてものはそのまま何の定着もせずに抜け落ちていくものです。
これってあまりにも虚しいことです。なので、深堀りして知識として定着させてみませんか?
そこで、我々の味方であるChatGPTやGeminiのような言語モデルのAIを味方につけましょう。
彼らは嫌な顔せず、私たちのどんなくだらない疑問にもまじめに考察して返してくれます。
このAI対話シリーズは、私がAIと行った議論を記し、自分がより人生を豊かにする日記です。
AIの発展で無くなる娯楽

AIの発展の文脈だと、よく「AIの発展で無くなる仕事」って話出るよね。
逆に、「AIの発展で無くなる娯楽」って何があると思う?
AIが構造的に何かを代替するってのだけじゃなく、需要そのものが無くなる、
というのも枠に入れていいよ。仕事の話でもそうだしね。

仕事がAIに代替されるのと同様に、娯楽においても「AIが介在することで楽しさが成立しなくなる」、あるいは「コストとリターンのバランスが崩れてやる意味を失う」という形で消滅、または縮小する分野は存在するよ。

例えば、「不完全情報」を楽しむ対人ゲームは厳しくなるね。
これには、ポーカー・麻雀・人狼みたいなものが該当する。
この「騙し合い・読み合い」というのは、人間が嘘や相手の行動を完全に読むという行為に限界がある前提で成立しているものであって、AIが人間の表情やトーン、過去の発言やその人の統計をリアルタイムで解析できるようになってしまうとこの成立は怪しくなってしまうよね。
だからオンライン対戦で公平な成立を望むことは難しくなるし、スマートグラス系の技術が発展していくことを考えると、対面で対戦していてもその人がAIの補助を受けてないことを証明することが手軽ではなくなってしまうんだ。

うわあ、いきなりすごいところを持っていかれるな。
確かに、すでにオンラインの将棋や囲碁でAIの使用が認められたらBANみたいな話はよく聞くし、最近有名な麻雀アプリでもAI打ちの警告動画を見たわ。

次に、単に「知識の累積」を競うクイズみたいなものは難しくなるね。
さっきも言ったようなウェアラブルデバイスが進化すれば、視覚や聴覚の情報を即座に分析してリアルタイムで解説みたいなことは容易になってしまう。すると、「多くの知識を持つこと」のコストがゼロになってしまうよね。
まあ、クイズは単純な知識だけではないから完全に競技性が失われるわけではないけど、純粋な知識量を競うエンターテインメント性は薄れてしまうかも。

確かに、今は疑問に思ったことを入力して出力が返ってくるまで待ってるけど、AIがさらに発展したら、この入力を待たずに資格情報から全ての答えを予測して情報的に補完してくれるみたいなこともされ得るわけだ。怖い世界だなあ。

少し「娯楽」の幅を広げると、「分析と予測」に基づくギャンブルも減りそう。
スポーツベッティングや競馬、娯楽としてのデイトレードなどが当たる。
AIがこういった予測に関して精度を極限まで高めてしまうと、すべての参加者が勝つためにAIを利用して、結果的にオッズが完全に適正値に収束してしまうね。
こうすると、穴場とか歪みが発生しなくなって、勝利とそれに対する大きなリターンという期待が薄れてしまって、本当に純粋な運任せの宝くじのようなもの以外はゲームとしての魅力が薄れてしまう形になるんじゃないかな。

うーん、「分析と予測に基づいたギャンブル」か。
AIがどれだけ発展しても、パチンコ・スロットは消えなさそうだな。

さらに、実利を兼ねたタイプの「スキル習得型」の趣味も衰退しそう。
海外旅行のための語学学習なんかは機械翻訳が発展するし、趣味レベルのプログラミングやイラスト作成なんかは今AIの発展が一番感じられる領域だよね。
今はまだAIの生成物が不完全だからせめぎ合ってるけど、これが完全になってしまえば、人間が苦労して習得するプロセスの合理的価値は消滅するよね。
すると、将来の役に立つなどの理由で参入していた大多数の層が消えてしまい、本当に習得自体を目的にしている人たちもコミュニティ規模が維持できなくなっていって、趣味としては衰退してしまうと思われる。

自分はプログラミングの過程が好きだと思って続けてると思いたいけど、まあ、将来のためっていう理由を否定できないし、そうだろうなあ。
特に何もないときにプログラミングをするかと言われたら、楽なゲームやるし。

後は、「検索と探索」を伴う受動的な娯楽も失われる。
書店を巡ったり、ハマれそうな漫画を漁ったり、あるいはNetflixやYouTubeで「何を見ようか」とリストをスクロールして探す行為。これは、AIが個人の嗜好を完全に把握できるようになると、そもそも次にその人にピッタリハマるものを完璧に提示できるようになるわけで、「探す」行為はノイズになってしまうよね。
結果的に、AIに任せた方が満足度が高くなって、探索を楽しむ文化は廃れそう。

うわあそうか。これも娯楽といえば娯楽な気がする。
というか、AIの生成技術がさらに発展したら、その人の感情の起伏や予想を完全に読むことで、物語を見ながらその人が最も感情が動くように動的に物語の内容が生成されていく映画とか作れちゃうよね。

要するに、AIがなくすのは「結果を得るためのプロセス」にコストがかかり、そのコスト自体が娯楽の一部だったもの。完全に最適化されてしまうからね。
書店を巡ったり、ハマれそうな漫画を漁ったり、あるいはNetflixやYouTubeで「何を見ようか」とリストをスクロールして探す行為。これは、AIが個人の嗜好を完全に把握できるようになると、そもそも次にその人にピッタリハマるものを完璧に提示できるようになるわけで、「探す」行為はノイズになってしまうよね。
結果的に、AIに任せた方が満足度が高くなって、探索を楽しむ文化は廃れそう。
さらに逆に、生き残る娯楽

もう、生き残る娯楽の方が少ないのかな?
AIが生身の人間を超越した反応速度と周辺把握能力があるならば、対戦ゲームや対戦スポーツを取り巻く環境も変わるよね。何らかの技術でAIを排除して生き残るのか、AIを前提としたものとして新たな競技性を見出すのかな?

生き残る娯楽が少なくなるわけではなく、娯楽の評価基準が「結果の優劣」から「過程の体験」へ完全に移行すると考えたほうがいいんじゃないかな。
でもまあ、対戦ゲームやスポーツはその二方向に分岐して定着するだろうね。
だから、消滅するのは「AIが介入しているかどうか不明瞭な環境の対戦」かも。
少なくとも今みたいにそれがわからないままなはずはなくて、社会全体でAIの介入についての境界線を明確に再定義するフェーズが来る。

それと、対戦を目的としない自己完結型の娯楽は影響は受けないはず。
選択肢を吟味してデッキを構築するゲームや、環境内のシステムを組み合わせて独自の構成を作り上げるゲームは、AIが瞬時に最適解を出力できたとしても需要を失わないはず。自分で思考し、結果を観察する過程そのものが目的だからね。

Slay the Spire最高。僕もそういうゲーム作りたいけどなー。
AIが作る人間の基礎

そう考えると自分の最初の質問は結構現在の社会ベースだった気がする。
AIがさらに発展して社会がそれに完全に適応すると、人間の基本的な判断能力やそもそも基底を作る教育の段階で、最適な判断をこなすAIが常に傍に居る前提になっていくんだよね。そうなると、人間の判断や価値基準も変わるのかな?

そんな環境や教育が当たり前になると、「効率」に対する考えが変わるだろうね。
現在の社会では問題の多くを人間やそのリソースを用いて解決するという点で、最適化や効率化という行動とそのための学習の価値が高まっているけど、AIがその点を代替できるようになるから、人間の思考リソースが別のことに割り当てられるようになるはず。

まず、「How(手段)」から「What(目的)」と「Why(理由)」への移行が起こる。
勉強でも開発でも、その過程をAIが全て代わって行うので、人間の目的は「何をすべきか」「何を作るべきか」という目的定義に集中するようになるはず。
そして、「早い正解を導き出すこと」ではなく「新しい問題を設定できること」や「何を優先して解決すべきか判断できること」が知的な価値として評価される。

なんかずっと言われてはいるやつ~~
数学で求められてるのは手段を知ることであって細かい計算は今後コンピュータがやってくれるから電卓を持ち込んでも良い、みたいなののAI版だよね。
でもまだこういう考えにも理解がない人がいる以上、こういう価値観に社会全体が適応していくのって、相当時間がかかりそうだなあ…

そして、「不便さ」と「制約」は新たな価値や娯楽として扱われるようになる。
AIの発展によって、常に最適解を用意できるようになった社会では、効率性は努力によって得られるものではなく、単なるインフラとして扱われるはず。
ゲームプレイにおいて単に勝つだけでなくてその試行錯誤の過程そのものが娯楽として成立しているように、意図的にAIの支援を断つことで不便さや制約を味わって人間のみで完結させる行為が娯楽として定着していくはず。

なんか文面だけで見るとそんなわけ…って思うけど、
Power Wash Simulatorみたいな自分から苦労しに行く謎シミュレーターゲームが乱立して流行ってもいるところを考えると、もうその流れ来てるよな。

最終的に、人間はリスク評価と「責任の引き受け」に特化することになるかも。
AIが統計的・論理的な最適解を提示したとしても、それが社会的な状況や倫理的な側面に完全に適合するとは限らないから、AIが導き出した解を実際どう運用するかという総合的な最終決定の役割は最後まで人間について回りそうだね。
「提示されたリスクを誰が許容し、責任を負うか」という合意形成を正しく下せる人間に高い価値があって、そのために社会に適応した高い判断基準を持っている人が高く評価されることになるわけだ。

うわ、嫌だ~ 責任は最後までついて回るのかよ
結び
なんかAI側から次の議論の方向性をめっちゃ提案されてたんですけど、飽きたんで締めます
最初は興味から聞き始めたけどなんかめんどくさくなってきて話をする体力がなくなってきた
そうなったときにこっちが話やめたらそのまま終わってくれるのもAIと対話する利点っすね
こういう感じの社会観に対する中断された議論のスレッドが4個くらい残ってて、生産性~
生産性の話すると自分のいろんな活動に刺さるからやめるか。考えさせないでくれ。
私は逃げます。やるべきことから。また気が向いたら。さようなら。

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