実はIgA腎症という病気だった話【腎生検の巻】

ドラゴンズ

どうも、Doragonesと申します。このブログが投稿される5月24日は私の誕生日です!!おめでとうありがとう。哀川翔さんと同じ誕生日だそうです。

さて、タイトルでギョッとされた方も多いかもしれませんが、マジマジ大マジの話です。

実は私、腎臓病を患っておりました(完治ではなく症状が治まって経過観察中、この場合寛解が適切かも)。
「なんでこんな話を?」と思われるとでしょう。
答えは単純明快。そんな体験談がインターネットに少ないからです。

「KIDNEY」と書かれた部分が腎臓

かくいう私も、病院で診断された当時インターネットで検索したところ、同じ病気の体験談は数多くは見つかりませんでした。

タイトルにもあります通り肝心の病名は、

「IgA腎症」というもの(らしい)です。

IgA腎症の概要


慢性糸球体腎炎のうち、糸球体メサンギウム細胞と基質の増殖性変化とメサンギウム領域へのIgAを主体とする沈着物とを認めるものをいう。同義語としてIgA腎炎、バージャー(Buerger)病などがある。慢性糸球体腎炎の一病型として確立しているが、日本においては1970年代初期から活発な研究が行われ、慢性糸球体腎炎のうち成人では30%以上、小児でも20%以上を占めていることが明らかになった。日本と同じように本症が多発する国としては、アジア太平洋地域の諸国が知られており、北欧や北米では比較的少ない。このような地域差の原因は不明であり、一部では腎生検施行の頻度と比例するともいわれ、北米においては白人には多いが、黒人ではまれであることも知られているため、何らかの人種的・遺伝的背景も想定されている。成人・小児共に男性にやや多く、発見時の年齢は成人では20歳代、小児では10歳代が多いが、患者層は全ての年齢にわたっている。

Iga腎症-難病情報センター

(らしい)と書かれている理由ですが、私が尿検査に引っかかり精密な検査を市民病院で受けた当初、軽微な症状しか出ておらず(軽めのタンパク尿、見た目にはわからない程度の血尿)、症状的にはこれに近いといわれたものが「IgA腎症」でした。
結局重めの症状は出ないまま様々な手術を終え、今に至るので初期だったのかも。

病気のヤバさはGoogle先生にでも聞けば嫌というほど出てくるでしょう。難病とか腎不全とか完治はないとか。

この記事では病気の発見から腎生検(腰からなんか刺して腎臓の組織をとるやつ)までをお話ししたいと思います。学術的なものではなく、生活の仕方を適当に思い出して書くやつです。治し方とか知りたい場合はちゃんと病院にかかるように!!

※今回画像ないです。体験を書き連ねるだけ。


遡る事ウン年前。小学生であった私は定期的に行われる尿検査にいつも通り尿を提出しました。
皆さんも記憶には残っていると思うのですが、健康であれば数週間経つと検査結果のペラ紙が先生から渡されたと思います。
周囲のみんなにどんどん渡されていくのですが、自分だけ来ません。何でだろう?と疑問に思っていたところ、後々先生に呼ばれて、少し大きめの封筒をもらいました。
内容は親にすぐ渡してしまったのであまり見れませんでしたが、検査値に異常が見られたため精密検査を受けることをおすすめするような内容だったはずです。
いや普通に怖かった。今まで何に引っかかることもない健康優良児だったはず(思えばインフルもそんなかかってなかった)の自分が初めての異常。漠然とした不安が心を支配します。

後日、体育館みたいなところ(正確な記憶がありませんがだだっ広い空間に布でできた仕切りがたくさんあったような気がします)で、身長体重の計測、血液検査や尿検査などを行いました。
仕切りでできたいくつもの空間の一つに入るとそこには病院の先生が。
話を聞くとどうやら自分が住む県の中でも腎臓に詳しい先生だそうで、そこで自分の尿の状態、さらには考えられる病名などを教えてもらいました。

前述したとおり、蛋白尿が少し(とはいってもそこそこ異常な値)と潜血尿が出ているとの話で、これに当てはまりそうな病気が「IgA腎症」である、という診断でした。

正直、じわぁっとした気持ち悪さが先行しました。怖いとかよりも。
だってスイミングスクールに通い週一で泳いでいて、友達とも毎日のように遊び、今まで何にも不健康な点が見当たらなかったんです。そんな自分の体がおかしくなってしまった、自分の体が自分のものじゃなくなってしまったかのような、そんな感じがしました。

クソバカボケナス楽天家だった私も、ここで少し考えが変わりました
別にすぐ死ぬわけでもないらしい、とは聞かされましたが、難病とのこともあり一生付きまとう問題かもしれないのです。

嫌じゃん。のびのびと生活できないんですよ。薬とか飲まなきゃいけないし、手術だのなんだのしたら少しではありますが活動に制限が入ります。自分の健康について小さい頃から考えたくなかった。考えなしにご飯を食べたかった。

お涙頂戴の話ではないのでここで泣いたりとかはないですが、気持ちがこの頃から少し下向きになったような気がします。

そのタイミングで薬の服用が始まりました。正直、小さい頃から薬の味が苦手というわけではなかったので、あまり苦ではありませんでした。
しかし量は多かったです。何粒もの錠剤を毎食後に飲み込む。友達とかには変に迷惑かけたくないし説明したくないしでそんな素振りはできるだけ見せないようにしていました。

そして定期的な通院も始まりました。数か月に1回、尿検査と血液検査を受けます。そういう検査を受けたことがある方は「あるある!」ってなるかもしれませんが、待ち時間がくっっっっっっっっっっっっっっっっそ長いです。そもそも病院自体待ち時間は長いのですが、それでも「あれ?忘れられてる?」と思うぐらい長いのです。体感時間が分かるように説明すると、平日の日がまだかなり明るい時に病院について、10分ぐらいでもろもろの検査を終え、待合室で待っていたら日が落ちていることがありました。本当にひどいときはあとからやってきた子供たちがどんどん帰っていき、待合室に自分だけになる事がありました。
遊びたい時間も削り通院するのは本当に嫌でした。


そして時は流れて中学生になりました。そこで提案されたのが「腎生検」というものでした。
本当にその言葉を聞いたことがなかったのでどんなものかを聞いたところ、
「腰から針をブスっと刺して、腎臓の組織を取るんだよ~」
いや怖いが?手術を一回も受けたことが私はビビり散らかしていました。

いやそれなりに大きくなった男子学生が注射Lv70みたいなものにびくびくしているのも変な話ですが、手術痕は気にならない程度に残るということを耳にし、自分の体に傷つけるのヤダ~~~~、って思っていました。
健康であるという証となる綺麗な体を失うのはやっぱりね。

まあ、体に少し傷がつくのを恐れて手を尽くすことなく腎臓が悪くなり、透析地獄というほうがより最悪なのでさすがに断りはしません。覚悟を決めなきゃヒトの人生なんて生きていけないからね。

腎生検を受けることに決め、かかっていた先生から紹介状を書いていただき、より大きな都会の方の病院へ。都会の病院ってでかくないですか?病床数はたくさんあった方がいいと思うのですが、にしたってアホみたいに「でっけ~~」って言っちゃいました。コンビニがしっかり入ってるし、ちゃんとした食堂があります。休憩スペースのような椅子も小さめのコンサートホールぐらいあったと思います。盛ってないはずです。

軽い手術だったので、相部屋に入っていきます。室内もすごく快適でした。全然覚えてないですけど。というのも短期間で手術(腎生検をして一年しないくらいで次の手術)を別の病院で受けたので、病室の内装がごっちゃになってます。めっちゃ病室間の廊下が広いと感じたことしか記憶にありません。あとテレビのアームが機能性が高かった。くねくね動いていました。

手術前日には点滴を腕に刺し、管を腕に括りつけます。あれ滅茶苦茶動きにくい。自分の腕に針が刺さっているという怖さすごくないですか?勢い良く動いたら血管ごとぶちぶち!!!!っていきそうで老人の徘徊程度の速度でしか歩けませんでした。あと動くと普通に痛いのでトイレぐらいでしか歩きませんでした。

翌日の手術に備えて、精神を整えて、覚悟して眠りました。


そのまま手術当日。連れてかれるがままに手術室へ。普通に麻酔を打って針を刺すのですが、それまで麻酔というものを経験したことがなかったため、どんな感じなんだろうと構えていました。

ブスッ… 「あーなるほどねこんな感z…」

目が覚めると病室の天井でした。麻酔ってマジでどうしようもないんですね。意識の断絶というか、眠るというより気絶、シャットダウンのような感じとでも言いましょうか。そういう話は前にインターネットの記事で予習済みだったのですが、まさかこんなにも正確な話だったとは。インターネットの体験談をあまり侮らない方がいいですね。
そして肝心の腰!!!手術跡の部分がぐるぐる巻きになってるし寝返りが打てないほど腰が痛い!!!
ある程度落ち着くまで普通にトイレも看護師さんを呼んで尿瓶にする感じでした。本当に夜中にトイレ行きたくなった時看護師さんを呼ぶのが憚られました。もちろんあちら方も仕事でやってるのは分かるんですが、夜中はゆっくりしたいんじゃないかって気持ちになって…。まあ漏らしたらさらに仕事を増やしてしまうので呼ばざるを得ないわけですが。

あと腰の痛さは普通に不愉快です。寝苦しいし動くと痛むので食事もだるくなります。起き上がれないので運ゲーの飯ダイブ(スプーンを傾けて何とか口に入れ込む)をしてました。こぼさなかったので良かった。
そのほかの時間はな~~~~んもやることがなかったので、テレビを永遠に見てました。スマホとかは持ってましたが、Wifiは勿論なく、当時の通信プランではYouTubeなんか見たりしたら即死だったので、テレビぐらいしか娯楽がありませんでした。あと漢字ナンクロとかもやってました。
文字に起こして気づいたんですが、これ余生を過ごすおじいちゃんおばあちゃんですね。

数日たつと腰の固定が外され、ある程度自由が利くようになるのですが、それでも腰は痛く、動くのは遠慮がちでした。これもおじいちゃんおばあちゃんだな。でかい病院とはいえ、やることはないので気が狂うんじゃないかと思いました。暇で。

あとは腰の痛みが引いたら退院…なんですが、私の場合は退院してからもある程度痛みました。あと腰は衝撃とかを与えてはいけないし、運動もダメとのことで、学生にしてどうしようもない状態になってしまいました。当時リュックで通学していたのですが、その期間だけボストンバッグを使ってました。普通に荷物が重くて最悪。あと入院後通学+諸々の疲れのせいか、手術とは別に体調を崩しました。泣きっ面に蜂かよ。

周囲の友人たちにも「腰があれなんで留意してくれると」みたいなことを伝えたらすぐ理解してくれました。優しい人たちでよかった。まあ学校も休んでいたので心配をかけてたかも。


…とここまでが腎生検+その少し後のお話です。少し駆け足な文章でしたが、これ以上長々とした文章を書けるほど密度の濃い入院生活ではなかったかも…。腎生検は正直手術も復活もサクッとしたものだったので、めちゃ辛いわけではありませんでした。むしろこの後が最悪でした。

それでは次回、扁桃腺摘出の巻でお会いしましょう。さようなら。

コメント

  1. iga腎症になっている人(マジ)(よかったら返信して!) より:

    私もiga腎症になっていて腎臓の細胞を取りました、ただ麻酔をしていたので痛くありませんでした(個人の感想です)ただ普通の生活・普通の保険に入れないのは・・・と思ってしまいました。ここまでにしておきます(返信が来るとこの先も書きます)

  2. ちひろ より:

    尿検査で引っかかった当時の年齢がおそらく私の娘と同じ位で、その状況や気持ちがよく似ていて参考になりました。海外ですがやはり近い将来に腎生検を勧められています。クスッと笑える体験談で元気をもらえました^_^
    この続きの体験談、もしよかったらどんなお気持ちで治療〜寛解のステップを踏まれたのか、どうかアップして頂けないでしょうか?
    アップの際は一言メールでお知らせ下さると嬉しいです。

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